「SHIPPAI.JP」ではみんなの失敗談を共有して、たくさんの学びや共感をお届けするブログで、日々たくさんの人の失敗談を投稿しています。
こんにちは
あの時、しっかり考えなかった・・・仕事選びの失敗談です
あの時、しっかり考えなかった・・・仕事選びの失敗談
これが現在まで至る人生の結果であると思います。
未だにしっかりとした仕事につけてないのはこの為のように思います。
ですからこれから就職活動に至る人には是非聞いてもらいたい。
高校は自分のアルバイトで通学
私は高校も自分のアルバイトで通学していました。
勿論自分の小遣いも自分で働いて稼いでいました。
そうすることによって家計が少しでも楽になればと思っていました。
親を楽させる事は良いことだと思っていた
親を楽させる事はいい事だと思っていました。
それによって少しでも私の意見が認められると思っていました。
しかし我が家はそもそも子供を見下しているようなちょっと変わった家庭環境でした。
大学に行きたかったが親と揉める
高校卒業も近くなり、勉強もさほど手を抜いていない事から大学へ推薦の取り付けまでしていたのですが、ところがその学費を親が支払えないと言い出し始めました。
私は高校の負担をこれだけ緩和していたのだから、せめて大学ぐらいはまとも出してくれるものだと信じていました。
ところができないできないの一点張り。
私は学費に関してはアルバイトで捻出するので、入学金だけは用意してほしいと交渉したみしたがびた一文支払わないし、それどころかとっとと働いてお金を家に入れろというのです。
納得いかないが、大学は諦める
とても納得ができない当時の心境はいまでも鮮明に覚えています。
周りの人達はそうしたアルバイトで家庭を助けるという行動もしていないのに、大学にすんなり行けている姿を見てなぜうちだけそれができないのかが納得できませんでした。
この人達はこの時期にお金がかかる事があるという事は知っていたし、進学についてもその前の年から話をしていました。
車の免許も7割方私が捻出しています。
仕方がなく就職する方向に
これ程お金のかからない高校生は居なかった筈です。
何も用意していないので一体この間何をやっていたのか?と争いになりました。
謝罪もなく何かあると親だ親だと威張り腐るので、いい加減ぶちぎれたわけです。
親なら親らしくしてもいたい。ただそれだけです。
問題はここではなく、仕方なく就職することになった訳です。
すでに12月になろうとしていたころ、就職活動にはそうとう遅いスタートとなった訳です。
もっと夏ごろに現実を受け入れる気持ちがあればよかったと後悔しています。
安易な感覚で就職先を決めた
当時は就職氷河期時代です。ただでさえ遅いスタートにろくな仕事なんて田舎の方ではありません。
そこで印刷工場の求人を紹介されました。
正直もうどうでもいいという気持ちで応募することになりました。
会社に魅力があった訳でもなく、親の言い分をとにかく聞き入れれば満足してもらえるだろうという安易な感覚で決めました。
これが間違いのもとだったし失敗だったと思います。
入社した会社はブラック企業
入った会社は正直今でいえばブラック企業です。
書いてある広告は嘘ばかりで、数年後その会社は廃墟となっていました(私が辞めたあと見に行くと)。
面接時には必ずつぶれないと豪語してましたが、印刷業界暇不景気です。
デジタル化が進んで印刷物自体が衰退しているのです。
つまり先を見る力がこの会社にはないのです。
私は半年間この会社にいましたが、12時間夜勤と昼間で交替し、手は汚れ重労働の会社に自分には到底合わないと思いました。
仮に高校卒業後アルバイトでもいいからもっと慎重に就職活動をすればよかったと大変後悔と失敗に気が付く事に今それを思っています。
まとめ
いい加減になった、ふてくされてしまった事に自分の落ち度は否めないと思います。
ただ特に母親の横柄ぶりは当時の若い思考では全く納得はできなかったと思います。
皆さんに知ってもらいたいのは、親がなんでれどうであれ頼りになるとか、勝手な期待はしてはならないということです。
親になるのに免許はありません。
おかしな親が存在するのです。
その時自分がしっかりしていないと私のような人生を送ってしまいます。